青山コウヘイの生い立ち


母が語る生い立ち

昂平(コウヘイ)は、母親の実家のある愛知県の産婦人科医院で、平成3年6月18日午後11時13分に青山家の長男として生まれました。体重3348gと大きめな子でしたが、大安産でした。
名前の由来は、「こうちゃん」と呼べて画数の良い字で考えましたが、高く駆け上がると言う意味がある「昂」を使って「昂平」と名付けました。

(写真は生後2週間)

 

 

昂平(コウヘイ)は周りの大人が太り過ぎるのを心配する程、ミルクをよく飲み、よく寝る子でした。沼津の家は、父親の両親と同居で自宅兼店舗(薬局)という環境でしたので、いつも大人に囲まれ皆から可愛いがられ、愛情をいっぱい受けて元気にすくすくと育ちました。
一歳二カ月で歩き始めましたが、この頃は積木やラッパ、押し車のおもちゃで遊ぶのが大好きでした。

(写真は生後7ヶ月)

 

昂平(コウヘイ)は二才の頃、家の中でミニカー、プラレールやブロック等で遊んでいました。電車のビデオも大好きで、毎日飽きずに何度も繰り返し見ていました。
家の近くを電車が走っていましたので、遮断機が下りて電車が走り過ぎて行くのを見に行ったり、道路を走って行く車をいつまでも見ていました。

(写真は2歳の頃)

昂平(コウヘイ)は赤ちゃんの頃からよく飲み、よく食べ、あまり動き回る方ではなかったのと、体質的に太りやすいこともあり、三歳児検診では太り過ぎを注意されましたが、幼稚園に入れば外遊びが増え動きまわるようになり、少しずつやせてくるだろうからと経過をみることになりました。
大きくなってからは、自分で太りやすい体質を気にして、気を付けているようです。

(写真は3歳の頃)

 

昂平(コウヘイ)は年少組から3年保育で近くの幼稚園に入園しました。
同じ年の子が近所にいなかったため、入園前は大人相手に遊ぶことが多かった事や引っ込み思案な性格だったことも事もあり、お友達に馴染めるか心配でしたが、少しずつ慣れて楽しそうに通うようになりました。この頃からスイミングスクールに親戚の子と通い始めました。

(写真は3歳の頃 自宅の薬局で)

 

 昂平(コウヘイ)の通った幼稚園では、年中組から週一度、サッカー教室がありました。少しでも運動ができる子になって欲しいという親の思いもあって入会し、サッカーを始めました。
七五三のお祝いは5歳の時に、三嶋大社にお参りに行きました。愛知のおじいちゃんおばあちゃんにも来てもらいお祝いをしました。

(5歳の七五三・三嶋大社で)

 

 

昂平(コウヘイ)が年長組の時に弟が生まれました。それまで口には出しませんでしたが、兄弟がいなくて寂しかったと思います。6歳離れて生まれて来た弟をとてもかわいがってくれます。
自分はお兄ちゃんという自覚がでたのか、とてもしっかりして来ました。わがままもあまり言わない子で、我慢している事もあったと思います。

(6歳の時、生後3ヶ月の弟と)

昂平(コウヘイ)の入学した公立の小学校は、子どもの足でも10分位で着く距離の所にありました。近所に4歳上の親戚の男の子がいたので、毎朝一緒に登校してもらい、帰りは同学年の子達と楽しそうに帰って来ました。
友達も増え行動範囲も広がり、放課後一度帰宅してから荷物を置くとすぐに出かけて行き、学校の校庭で遊んだり、家で友達と当時流行ったゲームボーイでポケモンのゲームをやったりして遊んでいました。

(写真は、6歳・小学校の入学式の時)

 昂平(コウヘイ)は弟の面倒もよく見てくれる優しいお兄ちゃんです。小学校二年生の頃は、家でブロックや「キッズコンピューター・ピコ」というテレビとつないでタッチペンでゲームやお絵かきをするおもちゃや、ポケモンフィギアで一緒に遊んでくれていました。
二人ともぬいぐるみも大好きで、どこかに出かけると二人してぬいぐるみを欲しがって、おばあちゃんに買ってもらっていました。

(写真は小学校2年生の頃)

 

昂平(コウヘイ)は父方の祖父母と一緒に暮らしていましたが、祖父は昔マグロ船の船乗りをしていたそうです。一緒に旅行や魚釣りに行ったりしました。
とても優しく穏やかな人で孫たちをかわいがってくれていましたが、昂平が小学校三年生の時、64歳で、膵臓がんで亡くなりました。在宅で看取りましたので、最後まで家族と一緒に過ごすことが出来ました。

(小学校2年生。左から祖父・祖母・コウヘイ)

コウヘイは3歳児検診の時に肥満を指摘されていましたが、その後は身長がどんどん伸びていきました。小学校高学年の頃はクラスの中でも後ろから数えて2、3番目に高い方で、4年生の時には、身長142.2㎝、体重43.3㎏と肥満度20を少し超える程度に改善しました。
少しぽっちゃり気味ですが、元気で風邪もほとんど引かない健康な子でしたので、安心して見守っていられました。

(写真は小学校4年生の頃)

 

 コウヘイは幼稚園の年中組の時からサッカーを習い始めました。そのサッカー教室は3年生までは各幼稚園のグランドで週1度行い、4年生から6年生まではクラブチームのグランドで行われました。
おっとりしていて引っ込み思案の性格で闘争心もない子なので、あまりサッカーには向かないと思うのですが、自分はサッカーしかないからと、下手ながらもそのまま続ける事にしました。

(写真は小学校5年生の頃、一番右がコウヘイ)

 

コウヘイは小学6年生になり社会科で憲法を学ぶと、憲法前文を何度も読み、すらすら暗記して覚えていました。
憲法前文にある「国民主権・国際協調・平和主義」が書かれた内容に、深く興味を持ち始めたようでした。
将来の夢を「人の役に立つ人間になりたい」と話していましたが、世の中のために自分にできる事はないかと自分なりに考え、今のコウヘイがあるのかと思います。

(写真は小学校の卒業式)

 

青山コウヘイ本人が語る生い立ち

中学・高校では、サッカー部に所属。中学校に入学した際には背が一番高く、周りのススメもあり、ゴールキーパーをやっていました(背が伸びるのは途中で止まってしまったため、高校卒業時には、部で一番小さくなってしまいました)。
当時日本代表だった川口能活に憧れ、ひたすら自分に厳しく、自分を追い詰めて練習に励み、毎日泥だらけになって帰宅していました。

(写真は中学3年生)

 

私は親や先生の言うことをよく聞きよく勉強し、夜の10時に寝るのは当たり前。「まじめだね」「えらいね」と言われて育ちました。ただ、周りの級友がするテレビや音楽の話についていけなかったり、ノリのいい仲間内、ケータイを持つ仲間内など、私が知らないところで仲良くしていることへの疎外感もありました。
そうした経験があるからこそ、今いろんな集まりを企画する際にも、みんなが参加し、みんなが楽しめる場にできることを大事にするようになりました。

(写真は中学3年生)

 

 

※随時、更新予定です。

 

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